海外生活と嫁と筋肉と

25歳で大手企業を辞め、海外企業に転職、嫁と一緒に海外生活している人のブログ。

変身

ある朝、私はベットの上で目が覚めると、自分が一匹の巨大な毒虫に変わっていることに気がついた。

 

特に日曜の朝は変身しがちである。

 

回る天井に、

鉛でも入れたのかというほど重い胃腸。

言うことを聞かない四肢。

財布を開けば昨晩の記憶が確かなところまでは確実にあったはずのお金が跡形もなく。

 

見た目、私自身のテンション、財力、社会への貢献、どれをとっても、さながら毒虫である。

 

ただベットの中でうごうごしているその姿は、

決して人様にお見せできるような代物ではない。

 

 

ないのだ。

 

 

 

ないのだ、が。

 

 

どうしてもその状態で活動しなければならない時もある。

 

それは私が社会人だからだ。

 

日曜の夜に記憶を飛ばすほど(それもサッカーが始まるずっと前に)飲むやつが悪いという意見もあろう。

 

その意見はとりあえず却下しておく。

 

そんなこと言う奴はナンセンスだ。恥を知ってほしい。

 

 

だいたいにして、こちとら二日酔いになりたくてなっているわけではないのであるから、

そんな意見は聞く意味がないのだ。

 

そもそも二日酔いになりたいと思って酒を飲むやつがいると思うのか、

もしいるのであれば出て来てほしい。

ウォッカをしこたま流し込んでやる。

 

そんなことを考えながら、毒虫と成り果てた身体を引きずりながら、

這々の体で電車に乗ると、やたらと周りが爽やかに見える。

 

いつもはむさ苦しい汗かいたおっさんも、

ちょっとハゲかかった中年も、

みんながいつもより若く見え、同時に羨ましく思う。

なんでみんなそんなに元気そうなの?と。

なんで私はこんなに元気がないのに電車に乗らなきゃいけないの?と。

 

 

あゝ企業戦士!

 

 

しかし、二日酔いで出勤した場合、1つだけ良いことがある。

 

それは、出勤がその日一番の山場になる

ということである。

 

出勤という大仕事を終えた私は、

デスクに座り、ぐるぐると回る会議室やパソコンの画面とにらめっこしていれば時間が過ぎて行く。

 

なにをやったのか、はたまたなにもやっていないのか、

とにかく記憶がおぼろなまま、気づけば退勤を迎えることができるのだ。

 

 

ただ、二日酔いの辛さは尋常ではない。

もう経験したくないからお酒は金輪際飲みません。

ウソです。

 

 

 

チョコミント?あぁ、ね。

今週のお題「チョコミント

 

チョコミントについて本気出して考えてみた

ことある人はどれほどいるのだろうか。

 

昨今は空前のチョコミントブームと言っても差し支えなく、

コンビニでもチョコミント商品が至る所に並んでいる。

これまでは、アイスかチョコレートの世界でしかお目見えすることのなかったチョコミントが、

いまやタルトだのパンだのあらゆるジャンルに進出してきている。

 

さながらお笑い芸人がCDを発売するような、

まあまあコアなファン以外には何も響かない状況ではある。

 

さて、私が学生時代に所属していたクラブは、東京にありながらも、部員の半分ほどが関西圏、3割ほどが九州、残りが関東圏という

超グローバルな環境であった。

 

そこで学んだことが1つある。

 

関西人ほんっとにチョコミント食わないじゃん。

 

これである。

 

嫌いを凌駕し、もはや敵視、どんなに説明しても

「歯磨き粉やん」

しか返事が返ってこなくなるという事態。

 

関西人のくせにおもんないぞ。

 

とにかく、どうやら関西人はチョコミントを食べないらしい。

 

食の好みに地域性があるというのは一体どのような因果なのだろうか。

 

 

そういえば、関西人はちくわぶを食べることもないという。

 

信じられない。

 

あの小麦粉の固まりみたいなものをもちゃもちゃ食べる楽しさを知らないのだろうか。

 

そんなんでいいの?

 

 

と、まあ閑話休題

 

チョコミントがもたらした、

この空前の緑色的世界を前にして、

超高校級のチョコミント好きである私はひそかにテンションがあがっている。

 

クラブにいた時代は影に隠れてひっそりと暮らしてきたが、

今なら声を大にして言える。

 

マイノリティが認められた。

時が来た。

 

チョコミント、おいしいよね。

 

かっこつけたい男の性

 

他人(特に女子)からかっこよく思われたい。

 

この世に生を受けた地球上の全男子が常々考えていることである。

男子の行動原理は基本的にこれで全て説明がつく。

異論は認めない。

 

しかし、世の中にはかっこいい男ばかりではない(容姿とかの話ではなく)。

 

あいつは一体なにを考えているんだ.....?

みたいな男が街中をうろうろしているのも事実。

 

それはなぜか。

 

「かっこいい」の定義が人により違うからである。

目指す姿と現実の自分とのギャップの埋め方が、多種多様すぎるからだ。

 

 

かくいう私も他人(特に女子)からかっこいいと言われたい男子の1人であり、

その阿呆さ加減には自分でも時々辟易する。

 

私の中にはどうやら、

「興味なさげなのに、しれっとなんでもこなせるやつ。」

「普段適当な感じなのに、抑えるとこは抑えてるやつ。」

「いざとなったらめちゃ頼れるやつ。」

 

みたいなものにかっこよさを覚えるらしい。

 

主人公タイプではなく、

終盤に主人公をめちゃくちゃ助けてくれるやつ。

加えて、

才能がものすごくて、かつ過去の大きな事件のせいでトラウマがあったり、心を閉ざしがちだったりして、基本的に冷静。

だと尚良い。

 

NARUTOでいうと、カカシ先生。

スラムダンクでいうと仙道とか流川。

 

そのあたりが私の目指すかっこいい像に近いようだ。

 

しかし、

私のかっこいい像を実現するためのハードルは異常に高い。

 

なぜなら、才能があることが前提だから、

才能のない私は影でこそこそとトンデモない努力をしなければならないからだ。

 

しかも何でも出来る男にならなければならない。

努力の方向性は放射状に広がっている。

 

ある時はペン回しを始め、

またある時はルービックキューブを6面揃えられるようにした。

 

ヒトカラに通い詰め、アロマを勉強し、

筋トレをしながら坐禅もした。

 

 

モテたいを目指した私であったが、

 

我ながらとてつもない遠回り

である。

 

そんなことをしているヒマがあるなら中身を磨けよ、と自分を責めたら、

これが男の性なのだ、と自分に言い返された。

 

どっちも一理ある!

 

と自分で判決を下しながら、

私はキャンプをスマートにこなす方法をリサーチしている。

 

食欲との終わりなき闘い

 

僭越ながら私は、いわゆるボディメイクというものを嗜んでいる。

 

いけてるカラダになりたいの。

 

そんな身もふたもない動機からスタートし、

かれこれ三年目である。

 

学生時代はごりごりの体育会所属であり、

食えよ増やせよ(体重を)の世界で生きてきた。

その辺のことは過去にも書いている。

お弁当という言葉が想起させる絶望的なトラウマ - 気儘なエクリチュール

 

とにかく食べる量が尋常ではないのだが、

それを上回る運動量によって、体重は漸減もしくはキープといった生活であった。

 

そんな飲み会での残飯処理マシーン

が社会に放たれ、運動をしなくなったらどうなるか。

 

聡明な私には即座に予測がついた。

 

太る、と。

 

そこで、どうしても太りたくない私は、大学卒業とともに食事制限と筋トレを始めたのだ。

 

筋トレは学生時代からやってきたため、それを続ければ問題はないとして、

食事制限、こいつが強敵だった。

 

これまでの異常なご飯の量から、

もう通常の食生活では満足できないカラダになってしまっていた。

 

ガマンできないの.........♡

もっとちょうだい?

と上目遣いでおねだりしてくる胃や口や脳みそ

に対し、

 

お前なんかサラダチキンだけ食べときゃいいんだよ!

 

と突き放すことの辛さたるや。

 

1日1000kcalほどで過ごす毎日.....

(良い子は真似しないでください。ほんとに。)

 

 

俺だって本当はお前に幸せな思いをさせてやりたいんだよ......

 

と夜毎ベットで泣き濡れる生活。

 

この一人二役で乗り切ったといっても過言ではない。

 

それから三年、、、

おかげで私の胃は小さくなったかと言うと、

 

むしろ肥大した。

 

普段節制を強いられていると、2週間に一度くらい、猛烈にガマンが出来なくなり、

爆食いしてしまうのだ。

それはもう本能のようなもので、抗えない。

 

その時にものすごい量を食べてしまうので、

胃が以前より大きくなった。

 

基本的に節制はできているから体重も減ったのだけれども、胃は膨らんだ。

 

だから、この食生活に慣れるどころか、

日毎辛さを増しているのではと思わざるを得ない。

 

 

なにごともやりすぎはよくないということを思い知った話。

 

雨は毛布のように

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

雨が好きか嫌いか、という質問を投げかければ、

大多数の人は嫌いだ、と答えるのではないだろうか。

 

濡れるし、

バーベキューとか中止になるし、

髪とか湿気で葛飾北斎並のうねりを見せ出すし。

そもそも傘を持っていることだけで、

人体の最高傑作であるの片方が機能不全になる。

カバンですら持ちたくない私には致命傷なのである。

 

カバンの中身から見る人間性についての研究 - 気儘なエクリチュール

 

あと濡れるし。

 

かくいう私も雨の日は大嫌いであった。

雨が降れば授業を休み、

雨が降りそうなら我が家に籠城を決め込む。

そして自宅にて

「やることがない!」

とうろうろすることこそが、雨の日の過ごし方だと信じて疑わなかった。

 

だがしかし、である。

そんなヘイト荒天の権化である私に、変化が訪れている。

 

それは過去にイギリス留学に訪れたことが大きいかもしれない。

 

イギリスはとにかく雨が多い。

雨か曇りか、そうでなければその真ん中か、

みたいな天気がずっと続く。

一説によると、イギリス人の中には、「晴れ」という単語が存在しないそうだ。

 

だからなのか、イギリス人ぜんっぜん傘差さないのな。

 

みんなちょちょいとパーカーのフードを被り、何の気なしに歩いている。

 

そんな姿をみてイギリスナイズドされたい私は早速真似してみる。

 

意外と悪くないじゃない。

 

雨が毛布のように(タイトル回収)しとしとと私を包み込み、非常に心地よい。

(ちなみに「雨は毛布のように」はキリンジというアーティストの曲です。おすすめです。)

 

知らないとは思うが、私の雨が嫌いな理由ランキング1位は、濡れた後の服とかの処理である。

 

濡れるのは構わないが、その状態で建物に入り、濡れを波及させてしまうのがいただけない。洗濯とか面倒い。

 

ただ、ホームステイであった私は、濡れた服を洗濯機に放り込んでおくだけで、翌日にはしっかり乾いて戻ってくる環境にあった。

 

この環境によって、雨も悪くないじゃない派に傾いたのである。

 

こうしてすっかりイギリスかぶれになった私は帰国後、

しばらくの間は傘を差さないことに誇りを持っていた。

 

ただ、やっぱり濡れたくないよなあという本能が目覚め、

さらには周囲からのあいつ濡れすぎじゃね?的な視線が気になりすぎて、

 

私はそっと手に傘を持つことにしたのだ。

 

 

 

ゲン担ぎをしないというゲン担ぎ

今週のお題「ゲン担ぎ」

 

例えば大事な試合の前に、

例えば重要な商談の前に、

 

人はそわそわする。

 

万全の準備をしたはずなのに。

もうあとは天命を待つだけなのに。

 

それなのに、そわそわする。

 

だから人はゲンを担ぐ。

 

私の大学時代の同級生には、試合前に必ずグラウンドに右足から入る人がいた。

 

その友がある試合の開始直前、整列している時に横にいる私にこそっと耳打ちしてきた。

 

「今日左足から入ってしまった。もう無理や。勝たれへん。」

 

この発言を聞いたとき、

「勝たれへんってなんだよ。勝とうよ。お前の左足はそんなに邪悪なのか?確かにちょっと臭いなとは思ってたけど。それは右足もだろう?」

 

と妙に冷静に思ってしまった。

そこで、

「大丈夫。お前は左足もすごいよ(主に臭いが)。」

と意味不明な慰めをしておいた記憶がある。

 

案の定その試合の彼は散々な結果だった。

 

試合後に私は彼に言った。

「果たしてそれはゲン担ぎなのだろうか。

むしろマイナスに作用してないか?

ここまでくるとゲン担ぎというより呪いなのではないか。

だとしたら、ゲン担ぎをしないという行為をゲン担ぎとすることが、最も安全なのではないか。」

 

その次の試合、彼は左足からグラウンドに入った。

今までのゲン担ぎをなくすためだ。

 

またその次の試合、今度は右足からグラウンドに入った。

その次は左足、右足、左足、、、、

と気づけば彼は交互に踏み入れていた。

 

「右足の次は左足にしないと、ゲン担ぎになってまう。左足の次は右足にしないと、前と同じようなことになってまう。だから交互にしてんねん。」

 

新たなゲン担ぎが生まれた瞬間である。

それも前より複雑になってる。

 

どうせ

「前の試合どっちの足から入ったか忘れてもうた!」

とか言うんだろ?なあ?

 

 

この一件以来、私はゲン担ぎをすることを完全に辞めた。

 

頼ってもいいことがない。

 

 

 

ただ、ゲン担ぎってカッコいいですよね。

「大事な商談の前夜は、必ず靴を磨くんです。

磨きながら、今までの準備を思い出して、明日のイメージをするんです。」

 

これだけで、さながら情熱大陸である。

てってってーてーてー  である。

なんか、かっこいいゲン担ぎが欲しいなあとも思う今日この頃。

お弁当という言葉が想起させる絶望的なトラウマ

今週のお題「お弁当」

 

きっとこのお題でブログをお書きになる諸氏は、

嫁の愛妻弁当がーとか、

なけなしの女子力を発揮して毎日作ってます、

的なことを題材にして展開していくのだろう。

 

ディスってはいない。

 

私にとってのお弁当とは、高校時代に母が毎日作ってくれていたものであり、その3年間によって、私に確実な変化とトラウマをもたらしたものである。

 

最初に断っておくが、母のお弁当がまずかったとか、そういう話ではない。

今でも感謝はしている。

 

私は高校時代、ゴリゴリな体育会系部活に所属していた。

とにかく身体を大きくせよ、話はそれからだ。

という方針を持つ監督のもと、

私たち部員は、

毎日2リットルのタッパーに米だけを詰めて持ってくること。

を課せられた。

おかずが欲しけりゃ別容器に入れてこい。

とにかく米だ。ということだった。

 

典型的なコメハラである。

 

2リットルタッパーは、

クラスで、"あいつ顔でかくね?"って言われてるやつの顔よりひとまわり大きめのタッパーを想像してもらえれば簡単である。

 

それに米をパンパンに詰める。

おかげで家の米代が当時3倍ほどに膨れ上がっていたらしい。

出来上がったそれは、お弁当というより小型爆弾に近かった。ボムである。

 

根が少食である私は、食べ切るだけで相当な努力を要した。

朝、学校に着くなり食べ、1時間目が終わったら食べ、ということを繰り返した。

特に移動教室が多い日は絶望的で、昼休みを迎えた時に、元気一杯なボムとご対面する度に

はぁ...........とため息を吐き、

部活前の時間に食べ、部活後にも食べるはめになっていた。

 

夏場は特に、お弁当が暑さに耐えきれなくなり、異臭を放つこともあった。

そんなときは厳粛にゴミ箱に投げ込んだ。

 

あの3年間で私の体重と胃袋は確実に肥大した。

青春をお弁当に捧げたといっても過言ではない。

それも作るのではなく、消費する側として。

 

花より男子』のF4みたいな食堂生活を送ってみたかった!

と部室で咆哮した思い出が蘇る。