お弁当という言葉が想起させる絶望的なトラウマ
今週のお題「お弁当」
きっとこのお題でブログをお書きになる諸氏は、
嫁の愛妻弁当がーとか、
なけなしの女子力を発揮して毎日作ってます、
的なことを題材にして展開していくのだろう。
ディスってはいない。
私にとってのお弁当とは、高校時代に母が毎日作ってくれていたものであり、その3年間によって、私に確実な変化とトラウマをもたらしたものである。
最初に断っておくが、母のお弁当がまずかったとか、そういう話ではない。
今でも感謝はしている。
私は高校時代、ゴリゴリな体育会系部活に所属していた。
とにかく身体を大きくせよ、話はそれからだ。
という方針を持つ監督のもと、
私たち部員は、
毎日2リットルのタッパーに米だけを詰めて持ってくること。
を課せられた。
おかずが欲しけりゃ別容器に入れてこい。
とにかく米だ。ということだった。
典型的なコメハラである。
2リットルタッパーは、
クラスで、"あいつ顔でかくね?"って言われてるやつの顔よりひとまわり大きめのタッパーを想像してもらえれば簡単である。
それに米をパンパンに詰める。
おかげで家の米代が当時3倍ほどに膨れ上がっていたらしい。
出来上がったそれは、お弁当というより小型爆弾に近かった。ボムである。
根が少食である私は、食べ切るだけで相当な努力を要した。
朝、学校に着くなり食べ、1時間目が終わったら食べ、ということを繰り返した。
特に移動教室が多い日は絶望的で、昼休みを迎えた時に、元気一杯なボムとご対面する度に
はぁ...........とため息を吐き、
部活前の時間に食べ、部活後にも食べるはめになっていた。
夏場は特に、お弁当が暑さに耐えきれなくなり、異臭を放つこともあった。
そんなときは厳粛にゴミ箱に投げ込んだ。
あの3年間で私の体重と胃袋は確実に肥大した。
青春をお弁当に捧げたといっても過言ではない。
それも作るのではなく、消費する側として。
『花より男子』のF4みたいな食堂生活を送ってみたかった!
と部室で咆哮した思い出が蘇る。