ミャンマーへの異常なまでの愛情
ミャンマーが好きだ。
人々の優しい目、未来への期待と不安が入り混じったあの目が。
長く閉じられた世界で育まれたたしかな文化が。
私はとてつもなく好きだ。
行ったことないけどね。
"最後のフロンティア"と呼ばれるこの国が、どんな国なのか知らない。
"最後のフロンティア"なんて言葉もググったから知ってるのであって、
正直よくわかんない。やたらかっこいい響きにやられた。
二番目のフロンティアでも中継ぎのフロンティアでもなく、"最後のフロンティア"。
きっと、主人公がさらわれた姫君を救いに忍び込んだ館で次々と現れる強敵と闘い、仲間に「ここは俺に任せろ!」って言われながら先に進んで、あの扉の奥に姫君が!って時にシュタッと現れる今までのやつらとは桁違いなオーラをまとったタイプの国なんだろうなあ。
ご察しの通りミャンマーのことぜんっぜん知りません。
ただ、好きなのです。もっと知りたい。
「あ、こんなところにホクロあるんだね、かわいい」
とか言って恥ずかしがらせたい。
なぜここまでミャンマーに執着するようになったか、きっかけがないのが不思議なところ。
強いて言えば、たまたま読んだ経済誌の「今、ミャンマーが熱い!」的な記事でミャンマーを知り、ミャンマー語を知った。
その時になにか運命を感じたとかっていうわけじゃないが、なんとなく好きになってしまった。
ミャンマー語を知っているだろうか。
日本人の我々からすると、視力検査の記号に見えることうけあいである。
မင်္ဂလာပါ။
なんて書いてあるかわかるだろうか。
日本人の8割が「上、下、ぐるん、上、キリン」と答えるという。
文末のキリンから推測するに、ミャンマー文字は象形文字なのであろう。
意味はおそらく「あなたの視力は0.8」である。
と思ったのだが、この文字
ミンガーラーバーと読み、こんにちはを意味するという。
これを文字と認識するにはどうしたら良いのか。
ミャンマー人が視力を異様に気にする国民であるとしか考えられない。
裏を返せば、仮にミャンマー語を習得したあかつきには、視力検査ができなくなってしまうのではないか。
医者「これは見えますか?」
私「ガー」
医者「これは?」
私「ンガー」
医者「次は脳検査です」
こうなっては困るが、ミャンマー語を習得したい。
何かを手に入れるには犠牲がつきものなのか。
ジレンマに陥ってしまった。
ここまで書いてみて、
とりあえず、もう少し勉強してからモノを言いましょうか、ね?
と自分に怒られたので、ここまでにしときます。
天井は回る
我が家の天井は回る。
さながらメリーゴーランドのように、ぐるぐると。
妄言を吐いているわけではない。
本当の話なのだ。
回る天井に苦しめられた挙句、引越しすら検討している。
一人暮らしのレオパレス住まいであり、
一見するとなんの変哲もないアパートである。
ここに住みだしてから一年ほど経つが、
仔細な分析により、
天井が回るには条件があるとわかった。
その条件とは、
恐ろしいほど酔っ払って帰ってきた時と、その次の日のベッドの上で起こる。
ということ。
由々しき問題である。誠に遺憾である。
酔っ払って帰ってきた時に、一刻も早く気持ちよく寝たい、というのは人類共通の本能である。
そこを邪魔をするように天井がぐるぐるぐるぐる........
朝起きた時なんかはもっとひどい。
ただでさえ二日酔いで気持ち悪いのに、
追い討ちのごとく目を回してくる。
地球の自転に置いていかれてる気分になる。
快眠とはほど遠い。
友人に相談しても、
「ついにおかしくなったか」
「酒の飲み過ぎで思考能力の低下が著しいな」
「そんなことだから彼女に悲しまれるんだよ」
などと人格否定の要素を多分に含んだコメントをもらうだけであった。
ただ、天井が回るという稀有な経験をしている人は私だけではないみたいだ。
友人の中にも何人かいた。
そしてその友人はみなすべからく大酒飲みであるということもわかった。
ここから導き出せることは、
大酒飲みは天井の回る家に住む確率が高いということである。
さらに、天井の回る家は、日本にそれなりの割合で存在するということもわかった。
この事実が報じられないのは何故なのか、
明らかにワケあり物件じゃないか。
なにか背後に渦巻く巨大な陰謀に怯えながら、
今日も天井は回る。
はじめてガールズバーに行ったらゲイにくすぐられた話
友人と飲み交わし、いい感じの組んず解れつの状態の中、
不意に立ち寄ることになったガールズバー。
その友人はここのガールズバーに来たことがあるみたいだが、
私にとっては初ガールズバー。
私にとってのガールズバーのイメージは、
桃色の照明がカクテルを照らし、
氷が妖艶に溶けていく。
カランと音を立て沈む氷をかき混ぜる男の手。
濡れたその手が次に向かうのは妙に露出の多い女。
それを振り払うでもなくかわす女の手。
その手が象徴する駆け引きは、まさしく大人の世界。
ムードがあるんだかないんだか、
それすらの判断も出来ない場所。
これである。
興味はあったがなかなか踏み出せない世界。
金払って女と飲むだけって、何が楽しいんだ!
と息巻いてみるが、ただ勇気がないだけなのである。
そんなところにまさか自分が行く日がくるなんて。
旅先で路線バスに駆け乗ったときのような安堵と不安を持って階段を降りると、
あゝ絶景哉。
チアガール達があははうふふと桃源郷。
先客のグループとカラオケで多いに盛り上がっているではないか。
私も早く混ざりたい。歌いたい。
混ざりたい、が、
その前にチアガールとスキンシップをとらねばならぬ。
ただ私に備わった天性の人見知りが存分に発揮され、どうにも踏み込めない。
こういうときの友人はすごい。
やや乱暴ではあるが、するすると言葉を紡ぎ、
あっという間に打ち解ける。
そうして出来上がったゆるーい空気の中に、いつもひょっこりお邪魔させていただくのが私の役割なのである。
このようにお互いの役割を遂行しきった後、
チアガールからデンモクを渡された。
最高潮の盛り上がりを見せるグループの前まで赴く、お前らも一緒に歌えとばかりに。
もちろんみんなノってきてくれるわけである。
手を挙げ、頭を振り、それぞれの感性で盛り上がる。
ああ楽しいなあ。
刹那、二つの眼が私を見つめているのに気がついた。
じっと見つめてくるその目は真剣そのもので、鬼気すら迫る。
これが対局中なら違和感もないが、
あいにくカラオケ中である、アル中(アルコール摂取中)である。
不自然に真剣なその目はただ怖い。
いかんせんゲイの方にモテる傾向にあるこの私、その類の危険を察知する能力が身についている。
モテればいいという話ではない。
頭の中にエマージェンシーを告げるアラームが響く。
緊急事態発生。緊急事態発生。
真夏のジャンボリーなんていってる場合ではない。
濡れたまんまでイっちゃえない。
この場合の最善策は、気づかないフリをすることであろう。完全無視。
即座に体をチアガールたちの方へ向け、避難。
しかし、どうにも気になってしょうがない。
さっきのはたまたま考え事をしてて、真剣な顔になってしまったのではないか。
ポーカーフェイスを極めた御方で、他意はないのではないか。
全て私の思いあがりではないか。
だとしたらなんてバカなんだ私は。
ゲイとはいえ、モテるなんてやれやれだぜ、と自惚れた自分を殴りたい。
ごめんよ、と贖罪の意を込めて、一度チラ見してみる。
あれ、いない。
ああそうか、さっきはトイレに行きたかったんだろうな。
なのに他のグループである私らが乱入してきたから気を使ってガマンしてくれていたのか、
申し訳ないことをしたなあ。
やっぱり私の思い上がりじゃないか。
どうぞ、ごゆっくり。
なんて思いながら、
突然降り出した雨〜♪
と歌うや否や、
突然くすぐられた俺。
最初はチアガールがちょっかいかけてきてくれたと思ったんですよ。
すごく嬉しかったんですよ。わくわくしたんです。
でもね、笑顔で振り返るとね、さっきの方がやっぱりそれなりに真剣な目で私をくすぐってたんです。
小せえ声でなんで俺だけ......
その後はもう修羅場です。
避けようにも歌は大サビに向けて佳境だし、なにより怖い。
痴漢で声がでなくなってしまう女の子の気持ちがよく理解できました。
痴漢はやめましょう。こわいですから。
大の大人がこわくなってしまうんですから、少しは相手の気持ちも考えてあげましょう。
良かった点を上げるとするならば、
その状況に気づいたチアガール達が一緒にくすぐってくれたことだろうか。これはよかった。
大勢のチアガール(と真剣な目を持つ男)に囲まれながら無事歌い終わった私。
グループのみんなとハイタッチをしてから
這々の体で自席に戻ると、
チアガールが駆け寄ってきて
「大丈夫でした?なんか、くすぐられてましたけど」
「ええ、非常に怖かったです」
その後、そのグループは早々に退散していったが、
私の脳裏にはあの目が焼き付けられた。
正直チアガールの顔とか全然覚えてない。
やはりオトナの世界に踏み入るのは時期尚早であったのか。
なんとも痛烈なデビューとなった。
迷走なのか名走なのか
社会人になってもうすぐ1年。
私こそが社会の歯車であるという自負を得ることができたような今日この頃、
直面している問題が1つ。
それは、、
休みの日なにしたらいいの!?
ということである。
このことに関しては先人も散々議論してきたようで、
グーグルで「休みの日 つまんない」
とか調べると山ほどのアイデアが挙げられている。
しかし、だ。
そのどれもがなんというか、その、
ぱっとしないのである。
誤解のないようにいっておくが、これはそのアイデア達が悪いのではなく、グーグルに悪態をついている訳でもない。
例をあげると、
ボルダリングや登山といったアクティブ系自然派OLみたいなものから、
カフェ巡り、パン屋巡りといった一歩間違えればおのぼりさん的、インスタのためにカメラ買いましたOLみたいなものまで、
ほんとうに色々なアイデアがある。
もう一度言っておくが、悪態をついている訳ではない。
全てはこのように穿った見方しかできない私が悪いのであり、
そのフィルターのせいで、カフェ巡りの魅力をシャットアウトしてしまっている私こそが悪なのだ。社会のゴミめ。
こんなやつがいるからインスタ女子を影で笑う風潮ができてしまうのだ。
1つの文化が勃興したら、
それに対して反対派が生まれ、
そのせめぎあいが文化をより魅力的なものにしていくが、
私のこの反対運動はなにも生まない。
ただの害悪だ。
こんな考え方をするやつは滅んでしまうべきなんだ。
インスタ女子に光を!
ビバ、OLYMPUS!!
いや、いくら相手が自分だからといって、
ここまで言う必要はないと思う。
害悪とか言われたの初めてだし。
そもそも悪というのはなんなのか。
正義があって悪があるのであれば、
悪があるから正義があるということになる。
悪がいなかったら正義は存在しない。
てことは悪は社会から必要とされてるんじゃん。
じゃあ悪は悪じゃないってことか。
正義と悪のような二項対立的な発想がもたらす影響は大きく、世間に大きく浸透している。そもそも脱構築的な立場から........
すいません俺が悪かったです。
正義と悪なんて観念的な話以前に、
書くこともまとまっていないのにブログなんて書くことからそもそも間違っている。
出だしはよかったのだが、
途中から修正が効かなくなった。
無理やり話を戻してまとめると、
最高の休日の過ごし方はどこにあるのか、
を探して休日が終わる惨めな男のお話。