海外生活と嫁と筋肉と

25歳で大手企業を辞め、海外企業に転職、嫁と一緒に海外生活している人のブログ。

ミャンマーミャンマー(゚∀゚)o彡゜

The Game is On.

 

ですよワトソン君。

 

ついに、 

 

ついに、

 

ついに!

 

 

ミャンマー旅行が決定しました!ぱちぱちぱちぱち

 

苦節10ヶ月くらいのときを経て(みじけーよって意見は却下します。だって時間の感じ方というのは相対的なものなのだから)、

 

私のこの足がミャンマーの地を踏み、

この目がシュエダゴンパゴダを捉え、

この口がモヒンガを味わい、

道行く人にミンガラーバーと声をかける事案が発生する。

 

 

その時が来たのだ。

 

いやね、

会社から1週間のお休みをいただきましてね、

一人旅でもいこうかなぁとは思っていたものの、行き先が決まらなさすぎて迷ってたんですよ。

ミャンマー雨季って聞いたし。

 

アイスランド行きたいけど航空券高すぎるし、時間的にも足りないなぁとか、

f:id:gtokizaki:20170831105433j:image

 

イジェン火山とか行ってみたいけど、ガスマスク持参てなんやねん。とか。

f:id:gtokizaki:20170831104509j:image

 

して、やっぱり私にはミャンマー行くしかないんじゃないの?

雨季のミャンマーも愛せよ、ということに決定しました。

 

そこで、焦ってビザを発行して、ホステルを予約した次第である。

 

急きょ決定したものの、ミャンマー語の勉強はどう考えても不十分だし、観光地もロクに知らない。

 

せっかくミャンマーに行って、ホテルに閉じ篭ってました、なんて。

わしゃアウン=サン=スーチーかて。

(深刻なミャンマージョーク)

てな事態になりかねない。

 

でもね、私知ってるの。

一人旅の成功の秘訣は、とにかく歩くことだって。

そしたら偶然が偶然を呼んで、振り返ってみれば"いい旅だったなぁ"ってことになっているって。

 

ラッキーパンチを期待して、その日に備えたい。

 

 

"なに食べたい?"と聞くオトコと"なんでもいい"と答えるオンナ

 

どっちが悪いのか。

 

あいにく私は男であるゆえ、男の肩を持つ意見を呈したい。

 

待ちに待ったデートの日、

ほわほわとした気持ちになりながらもオトコは何日も前からプランを決めている。

 

集まって、映画を見て、ごはん食べながら映画の感想をあーだこーだ喋って、ショッピングモールでもふらついて、バーで一杯。

なんて。

 

初期のデートは計画性がモノを言う。

ここでおどおどしているようでは、女の子から"不甲斐ないやつ!"と呆れられてしまうからだ。

 

だから考える。

そして、

今までの会話を必死に思い返しながら、

行動を思い出しながら、

どんなお店に連れて行ったらいいのかを考える。

 

けっこうインスタがキラキラしてるから、やっぱおしゃれなところかなぁとか、

敢えて大衆居酒屋みたいな所もありかもしれないぞ、とか、

この前このイベントをリツイートしてたな、とかも。

ありとあらゆる情報を集め、仮説を立てて行く。

できるサラリーマンは遊びもできるとは、この辺のことを言うのではなかろうか。

 

中には、終電...なくなっちゃったね.....みたいなルートも想定されているのはオトコの性である。ロマンである。

白状したのだから許して欲しい。

 

というわけで、あらゆるパターンのお店のリストをスマホに忍ばせ、オトコは今日を迎える。

 

待ち合わせ、よし。

映画、順調だぞ。

カフェでの話も盛り上がったし、

ショッピングモールでも楽しかった。

 そろそろ良い時間になってきたぞ、という刻。

ふう.......と一息つき、ここでオトコは切り出すのである。

 

"なに食べたい?"と。

 

このときのオトコは余裕しゃくしゃくである。

なぜなら調べに調べたリストが我が手中にあるのだから。

 

ただそんなことはおくびにも出さず、あくまでも自然な流れで誘導したいというオトコのプライドというものもある。

 

別に、昨日調べたとかじゃなくて、

前から美味しいお店の知識ありますよ、みたいなスタンス。

話題のお店の情報はいち早く察知してますよ、みたいなオシャレ感。

そういうのを求めてしまう。

 

だから、オンナが

"なんでもいい"と答えたとき、

オトコの中で繊細微妙な探りが始まるのである。

 

しかしここで早まって、

"近くに美味しいイタリアンがあるからそことかどう?"と言ってしまったら最期。

 

"あゝこいつは昨日必死に調べてきたんだな。

私そんなイタリアンの気分じゃないけど、

まあその努力に免じて許してやりますよ。"

なんて思われて、オトコのプライドが砕け散る。

 

だから、まずはオンナの出方を伺う必要があるのだ。

お腹はけっこう空いているのか、

和洋中ならどれか、

お酒は飲みたい気分か、

少しオシャレなとこか、わいわいした店の方がいいのか。

 

そういうのを会話の端っこの方から拾い集めて、ここだというタイミングで提案する。

"さっきうるさい店で飲んでみたいって言ってたよね?じゃああそこの大衆居酒屋によく行くから、そこ行ってみよっか"

 

こんな提案ができれば最高である。

最&高である。

 

少なからず女の子の意見は反映されているはずだし、オトコのプライドも保たれた。

 

だがしかし、

だがしかし、である。

 

こんなにすんなりいくことが少ないから人生はムツカシイ。

 

なぜか。

全くもって探れないオンナ、というのが往々にして存在するからである。

 

「お腹空いてる?」

「まあ普通」

 

「和洋中だとどの気分?」

「うーん、微妙」

 

「よく行く店で、美味しいイタリアンか、和食の粋な感じの店もあるけど、どっちが気分?」

「うーん、どっちでもいいかな」

 

「じゃあイタリアンにしよっか」

「うーん...」

 

「なんかちょっとは意見とかないわけ?」

「なにその言い方」

 

やってしまった....

ここでオトコは気づくのである。

ほんとうに大事なものは、リストなんかじゃない。彼女をおもてなしする心なんだ。ってね。

 

完璧な用意をしながらも、それを感じさせないくらいスムーズなエスコートをすることで、

かっこよく見せたい、自分をよく見せたいという気持ちが先行してしまっていた。

彼女を本当に楽しませたいという気持ちとは少しズレていた。

 

なんてバカだったんだ俺は。

彼女の気持ちにも気づけないで....

 

「ごめん、俺勘違いしてた。自分ばっかりかっこつけようとしてたみたい。」

「ううん、私こそ。色気より食い気みたいなオンナだと思われたくなくて。」

 

「そんなこと思わないよ。じゃあ、仕切り直しだね。なに食べたい?」

 

 

「なんでもいい」

 

 

 

今日もどこかで、オトコとオンナの終わらない戦いが繰り広げられている。

東京はいい天気だ。

 

fin.

 

坐禅で坊さんに心を乱された話

 

最近ミャンマーミャンマー言いすぎて、

日本の文化を忘れそうになってきたので、

坐禅をしにいったときのことを書きたい。

日本の文化じゃ。

 

 

私は筋トレが大好きである。

 

いきなり何を言い出したのか、と思わないでほしい。

最後まで聞いていただきたい。

 

私の中で筋トレはもはや趣味の域を超えて日常。

生活から切り離せないものとなっている。

それまでは趣味=筋トレというかわいいものだったのだが、ついにそんなレベル感ではなくなってしまったのだ。

 

突如趣味を失った私は趣味を求めてネットの海に飛び込んだ。

 

すると、鎌倉で坐禅体験ができるという記事を発見。

 

これだ。

 

筋トレという動的なものから、反動でその対極的なものを求めていたのだ。

 

まさに。

 

とネットの海から上がった私は、まだ濡れたままの体で鎌倉に向かった。

 

北鎌倉駅を降りてすぐにある、円覚寺

ここで坐禅ができるらしい。

しかも無料で。予約も必要なかった。

 

集合時間に所定の場所へ向かうと、

なかなかな行列。

列の後ろの方の人は、坐禅会場に入りきらず、

その横の玄関みたいなところでやるはめになってた。

 

私はというと..........

 

ど真ん中最前。

 

テレビの観覧みたいに横に並んでの最前列ではなく、

縦の配列である。

部屋の正面から縦に6列ほど。

その中の真ん中の列の一番前。

 

初心者が座るには荷が重すぎる位置である。

 

異常な緊張を感じつつ待っていると、

お坊さん登壇。

 

坐禅の基本や考え方などを説く、

坊's show timeが始まった。

 

どんどん熱が入り、饒舌になっていくお坊さん。

盛り上がりが最高潮に達した時、突如として

客振りを始めたのである。

 

無作為に指名し「今日は何で坐禅をしようと思ったのですか?」と聞き回る。

 

聞き回る。聞き回る。。聞き回る。。。

 

けっこうたくさん聞くんだな。

 

軽く10名ほど聞いていただろうか。

 

もう終盤の方とかネタ切れ感ありましたよ。

「同じこと言ってすいません」感でてましたよ。

 

ようやく所定の位置(私の目の前)に戻ってきたお坊さん。

 

ついに始まるのか....

と覚悟していた矢先、

 

「あなたは何で坐禅をしようと思ったのですか?」

 

完全な不意打ちが私を襲ったのである。

 

そのあまりにも見事な奇襲は、私の思考を混乱させるのに十分であった。

 

「いや、え、あの、、日本人として、日本の文化を知るべきなのかなと思いまして.....」

 

 

やたらウケました。

 

お前は何者なんだ、みたいな発言が受けたのでしょう。

 

お坊さんも笑ってるし。振っといて笑ってるし。

 

どう考えてもオチに使われた私は完全に錯乱状態。

プチパニック。

 

そんな私を嘲るように、お坊さんが

「では、始めます」

 

このままでは坐禅どころではない、

慌ててポーズをとり、集中、集中と乱れた心を正そうとするも、圧倒的なアドバンテージを抱えたため、なかなかうまくいかない。

 

 

その時

バァンッ‼︎‼︎

 

と突如爆音が轟いた。

坊さんが開始の合図の鐘を鳴らしたのである。

 

なぜ鐘がこのような爆音をさせるのか、

それは私の目の前にその鐘があったからである。

それもかなり大きめの。

 

この音のせいで私の心は千々になってしまった。

心を平静に戻すので精一杯だった。

 

どうせ終わりの合図でまた爆音来るんでしょ?わかってるんだよ?

 

と気持ちはさながら"絶対に驚いてはいけない坐禅体験"

 

案の定やってきた終了の爆音に耐え、

坐禅の奥深さを噛み締めたデビュー戦となった。

 

みなさんも心が乱れてるなと感じたら、ぜひいかがでしょうか?

 

こんなこと書いといてあれですが、

終わったあとはやたら気持ちがすっきりしてました。

また行きたいと思ったので、☆4つです。

 

アマゾンのレビューみたいになってしまったので、この辺で。

 

カバンの中身から見る人間性についての研究

今週のお題「カバンの中身」

 

 

実は、カバンを持ち歩かない。

 

 

となってしまってはこのお題を選んだ意味がないので、少し。

 

外出時に必須なのは携帯と財布。

移動距離が長いか、待ち時間が長い時は本も持ち歩くかもしれない。

あとはハンカチくらい。

 

仕事の時は都合上カバンを持つが、

それだけで少しテンションが下がる。

 

遊びの時は長財布から折りたたみ財布に変える。

ポケットに入るから。

 

とにかく身軽でいたい。

 

両手には自由でいてほしい。

 

背中にモノがあると動きが鈍る。暑いし。

 

背負うのは責任だけで充分。

 

最後少しかっこつけたし、

書いてみるとすっごいわがままな気もするが、

同志がいるはずだ。

 

 

なぜ私が手ぶら原理主義者(それも過激派)になってしまったのか。

 

おそらく根底には、手ぶらってかっこよくね?という観念がある。

 

最低限だけを持ち、後先を考えない。

備えあれば憂いなしとはいうが、

備えないし憂わない男の豪快さ

みたいなのに惹かれません?

 

大学時代も、コートにペンと紙数枚を忍ばせ、手ぶらで通っていたこともあった。

 

はたから見れば「なにしにきたんだよ」ということになるが、

紙とペンがあれば充分であり、テキストは隣の人に見せてもらってた。

 

 

それでこの24年間、何事もなくやってこれた。

 

カバン一つでヨーロッパ一周もできた。

行く先々でお土産を詰め込む余裕もあった。

 

 

ただ、大人になってまでそれでは、いけねーんでねーの?

という葛藤もある。

 

備えない男の豪快さ、とかのたまったが、

要するにただの無計画なアホに相違なく、大人の社会では出来ないヤツ認定されるに決まってる。

 

カバンを持ちたくないというポリシーだけで、

社会不適合者になってしまうのか。

ちくしょう。

 

大人の社会を生きるためには、信念を曲げる必要もあるのか、ガマンが必要なのか。

 

あゝ生きづらい!

 

 

まさかカバンの話で、将来に不安を抱くとは思わなかった。

暗くなってきたのでこの辺でやめさせてもらいます。

アオザイほどのエロさはないけどいい奥さんになりそうなタイプのミャンマーの民族衣装

 

ミャンミャン

 

どこに需要があるのかもわからない、

薄っぺらい知識ミャンマーに想いを馳せるシリーズ第4弾。

 

ミャンマーに縁もゆかりもない私が、

ただ好きというだけの理由で書いてます。

 

 

今回はミャンマー民族衣装について。

 

民族衣装というと、どんなものを思い浮かべるだろうか。

身近なところでは着物とか?

チャイナドレスなんかもいいよね。

ベトナムアオザイとかあのタイトなラインがたまらない。

f:id:gtokizaki:20170817030157j:image

( https://liginc.co.jp/life/useful-info/50947

この破壊力。

こんなもん着て「私とフォーしよ?」なんていわれた日にゃあ....

 

私....

 

もう.........

 

 

と、と、.............

 

 

ギリギリのところで意識がもどりました。

 

ミャンマーの話でしたよね?

ええ、もちろん覚えていますよ。

そんなに急かさないでください。

どうせたいした話じゃないんですから。

 

 

 ミャンマーの民族衣装で最も有名なのは、

ロンジーというものらしい。

 f:id:gtokizaki:20170817043232j:image

http://www.gtstourmyanmar.com/japanese/yu/myanmar-dress.html

 

この下に履いてるマキシスカートみたいなやつ。

マキシスカートみたいだけど、男性も普通に履く。

 

画像を見てもらうとわかる通り、

めっちゃ普段使いしてる。

 

民族衣装というと、なんとなく、特別な日に着用するイメージがあるが、

このロンジーはみなさん日常で履きまくりみたいなのだ。

 

なぜならば、利便性高すぎだから。

 

高温多湿のミャンマーにおいて、通気性バツグンなこの服は最適であろう。

これ、めっちゃ涼しいのよ。

 

そんでもって、着脱がとても簡単。

これ、実はただの筒状の大きい布なのだ。

それに足を通して、上の部分をちょいちょいって結べばすぐ完成する。

 

着物みたいに貝結びがなんちゃらとか腰紐がなんちゃらみたいな煩雑さがまるで感じられない。

 

裏を返せば、生産も非常に容易なのだ。

布一枚を軽く縫えばすぐできる。

それにデザインも豊富。

 

ミャンマーの気候や、庶民にも入手しやすいという条件が揃い、

ここに最強の日常用民族衣装が完成したというわけだ。多分だけど。

 

ここまで調べた私は、"ある想い"が頭から離れなくなった。

ある想いとは....

 

"ロンジーほしい"

 

これである。

 

日本だって暑い。

それに、日本にいながらミャンマーを感じられる。

そんな幸せなことはない。

 

 

ということで

 

 

 f:id:gtokizaki:20170817074842j:image

 

 

買いました。

 

高田馬場ミャンマータウン的な所があり、そこにそびえる雑居ビルの一室にそれがあった。

 

ただのビルの一室にお店がある感じが新鮮であった。

そこの店員(もちろんミャンマー人)のおばさんに

「ロンジーください!」

 

すると、

「あんた男なのに日本でロンジー履くのかい?物好きだねぇ」

と。

 

確かに、冷静に考えれば、ロンジーを知らない人があれをみたらただのマキシスカートだ。

それを男が履いていたら確かに違和感がある。

 

あ、そういう人なんだなと思われること請け合いである。

 

一瞬冷静になりかけたが、

今さらああそうですねと引き下がるわけにもいかないので、とりあえず買いました。

1000円くらい。

 

結果、

家の中では履けるが、外に出る勇気が出ないという内弁慶スタイルが見事に確立されることに相成ったのである。

 

どうでもいいことだが、

私は普段、家では浴衣で過ごしている。

ちょっとのお出かけくらいであれば、浴衣にビーサンでうろちょろしてしまう。

 

しかし、である。

夏ならまだしも、少し季節がずれていくと、

すれ違う高校生集団に「あれ、今日祭りだっけ?」と、

かなりの確率でざわつかれる。

 

そういう何気ない小さな一言の積み重ねが、確実に私の心をえぐっていき

浴衣で外に出ることにも若干の抵抗を示していた。

そんな矢先に、新人のロンジーくんが現れたわけである。

するとどうなったか。

 

日本人なんだから浴衣ぐらい着させろや\٩(๑`^´๑)۶///

 

という感情が生まれ、浴衣でお出かけになんのちゅうちょもなくなったのである。

 

ミャンマーの民族衣装を買うことで、なぜか浴衣の素晴らしさを再認識することになった。

 

けれども、ロンジーで外を出歩く勇気は未だに、ない。

歩けるようになる予定も、ない。未定である。

 

どうでも良いことを長く書きすぎた気がするので、この辺で止めておこうと思う。

 

 

ミャンマーの恋愛事情ー妄想編ー

 

ミャンマーの半分は優しさでできているー

 

ミャンマーに行ったこともロクな知識もない私が、

ただ愛のままミャンマーのことを語るシリーズ。

 

 

今回はミャンマーの恋愛事情について。

 

ミャンマー人は優しい。

それは彼らの宗教に由来する。

ミャンマーは国民の多くが仏教徒である。

 

日本も仏教と関係が深いが、神道とかの影響も受けてるし、なにより多くの国民が自らを無宗教だと思っている。

そもそも"無宗教という宗教"と揶揄されたりもする日本の文化は....(以下略

 

話を戻そう。

ミャンマー仏教は日本のそれとは違い、小乗仏教といわれる

 

徳を積めば積むほど、来世で良い思いができる的なものである。

だから彼らは戒律を守る。

日々、善い行いをする。

出家する人も多い。

ゆえに結婚しない人も多い。

ふしだらなことはしない。

酒は飲まずにねーちゃんにも手を出さない。

結婚してない男女が気安くデートするものでもない。

 

最近でこそ、他文化の流入により多少の緩和は見られてきたものの、

ミャンマーの生活と仏教は強く結びついている。らしい。

 

らしい、としか言えないのがなんとも情けないがこんなところだ。

 

そして、熱心な仏教徒と、他文化に影響を受けた主に都市の若者たちとの間で、二極化が進んでいるみたいなのだ。

 

 

戒律を守り、日々徳を積む男と、

流行に敏感で都会派な女。

そんな2人が出会ったとき、ミャンマーに稲妻が走る。

 

「ねー、今度IKEA行こうよー」

 

「女と出かけるなんて言語道断。それにIKEAってなんだ」

 

IKEA知らないとかマジウケるw」

 

みたいな会話が街中で繰り広げられているのか。

 

大きな変化の渦中である国に生きる人々は、

それまでのライフスタイルと新しい気風の間でなにを思っているのか。

 

二極化の先に栄光は待っているのか。

 

とにかく、ミャンマーという国はおもしろい。

 

ミャンマー関係あるのかなこれ?

 

一刻も早くミャンマーに行ってみたい。

とまた思いました。

 

 

 

 

ミャンマーに潜むタナカの謎

 

あいも変わらず仕事の合間にミャンマーのことばかり調べている。

 

ミャンマーとは一体なんなのか。

 

東南アジアにある国である。

そんなことはわかっている。

 

こんなにも私を引きつけるこの国は一体なんなのか。

 

私が記憶を失う前になんらかの関わりを持っていたのか。

 

それとも、

私の生き別れた兄が彼の国に住んでいたのか。

 

いずれも釈然としない。

 

私には失った記憶も生き別れた兄もいないからかもしれない。

 

こんなことを考えていながらミャンマーを調べていくと、こんな記事に目が止まった。

 

ミャンマー女性のタナカ離れ』

 

日本で一大勢力を誇る"タナカ"から、ミャンマーの女性が離れていっている?

 

そもそもミャンマーでタナカは身近なものだったのか。

タナカから離れるとはどういうことか。

サトウやヤマダではだめだったのか。

私の友人のタナカとは関係あるのだろうか。

 

 

とりあえずの手がかりを求めて、友人のタナカに聞いてみた。

 

タナカ「俺がモテない理由がミャンマーにあったのか。」

 

私「君とは何も関係がないと知りながら聞いた私も悪いけれど、それとこれとは別問題だと思うの」

 

ーーーーーーーーーー

 

1980年、ミャンマー

 

世はタナカ全盛期。

 

街行く人々の話題はタナカばかり。

 

テレビでは美男子達が手を振りながら踊っている。

スターダンスユニット、TANAKA☆だ。

 リーダーのタナカを筆頭に、

人気No. 1のタナカ、歌唱力に定評があり、最近ソロ活動にも積極的なタナカなど、

個性豊かなメンバーが揃う。

 

 

かと思えば、バラエティ番組のアンケートで「今一番飼いたいペットはなんですか?」という質問に、2位の犬に圧倒的な差をつけ、タナカが1位となっていた。

 

他にも人気旅行先ランキング1位タナカ。

20歳になったらやってみたいことランキングの1位もタナカ。

 

 もはやタナカはミャンマーの一部となっていた。

国名をタナカにしようという過激派も現れた。

 

ザンギリ頭を叩いてみればタナカタナカと音がする。

そう、世はまさに大タナカ時代であった。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

そんな時代は一体いずこへ。

 

今やミャン女(ミャンマー女性の略)は口ぐちに言う。

「タナカって何かダサくね?」

「昔の流行り物って感じ」

「今ソバージュにするみたいな絶妙なダサさ」

「タナカって響きがウケる」

 

 

推測するにこんな感じなんだろう。

タナカ離れとはこんな感じなんだろう。

 

 

ところで、タナカってなに?

 

疑問が一巡したところでやっとグーグルを開き、調べてみることにした。

「調べる前に、まず考えなさい」と教わったからだ。

 

曰く、タナカとは女性が施す化粧のことで、目の下とかに塗ったりするものらしい。

ファッション的な意味合いの他にも、美肌効果的なこともあったりと、なにかと便利なやつらしい。

 

そしてその化粧品の原料がタナカの木、ということであるらしい。

ミャンマー男性の中には、ミャン女のタナカ姿にキュンとする人も多いのだとか。

 

そんなタナカが、他国の文化が流入し始めた影響で、なくなってきていると。

 

しょうがないような、切ないような。

そんな記事だった。

 

 

海外にまで田中いんのかよw

とか、

田中って日本だけで充分だと思うなあ。

とか甘っちょろいこと言ってる場合ではなかった。

 

思いの外、文化のせめぎあいを考える結果になった。

 

ミャンマーでのタナカさんのご活躍、お祈りしております。