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天井は回る

 

我が家の天井は回る。

さながらメリーゴーランドのように、ぐるぐると。

 

妄言を吐いているわけではない。

本当の話なのだ。

 

回る天井に苦しめられた挙句、引越しすら検討している。

 

一人暮らしのレオパレス住まいであり、

一見するとなんの変哲もないアパートである。

 

ここに住みだしてから一年ほど経つが、

仔細な分析により、

天井が回るには条件があるとわかった。

 

その条件とは、

 

恐ろしいほど酔っ払って帰ってきた時と、その次の日のベッドの上で起こる。

ということ。

 

由々しき問題である。誠に遺憾である。

 

酔っ払って帰ってきた時に、一刻も早く気持ちよく寝たい、というのは人類共通の本能である。

 

そこを邪魔をするように天井がぐるぐるぐるぐる........

 

朝起きた時なんかはもっとひどい。

 

ただでさえ二日酔いで気持ち悪いのに、

追い討ちのごとく目を回してくる。

地球の自転に置いていかれてる気分になる。

 

快眠とはほど遠い。

 

友人に相談しても、

「ついにおかしくなったか」

「酒の飲み過ぎで思考能力の低下が著しいな」

「そんなことだから彼女に悲しまれるんだよ」

 

などと人格否定の要素を多分に含んだコメントをもらうだけであった。

 

ただ、天井が回るという稀有な経験をしている人は私だけではないみたいだ。

 

友人の中にも何人かいた。

そしてその友人はみなすべからく大酒飲みであるということもわかった。

 

ここから導き出せることは、

大酒飲みは天井の回る家に住む確率が高いということである。

さらに、天井の回る家は、日本にそれなりの割合で存在するということもわかった。

 

この事実が報じられないのは何故なのか、

明らかにワケあり物件じゃないか。

 

なにか背後に渦巻く巨大な陰謀に怯えながら、

今日も天井は回る。

はじめてガールズバーに行ったらゲイにくすぐられた話

 

友人と飲み交わし、いい感じの組んず解れつの状態の中、

不意に立ち寄ることになったガールズバー

 

その友人はここのガールズバーに来たことがあるみたいだが、

私にとっては初ガールズバー

 

桃色の照明がカクテルを照らし、

氷が妖艶に溶けていく。

絶妙なバランスで成り立つグラスの中の世界。

その世界を荒っぽく掴み上げ、一瞬でただの氷とアルコールに戻してしまうは男の手。

結露で濡れたその手が次に向かうのは妙に露出の多い女。

その手が象徴する駆け引きは、まさしく大人の世界。

ムードがあるんだかないんだか、

それすらの判断も出来ない場所。

 

それが私のガールズバーのイメージである。

 

興味はあったがなかなか踏み出せない世界。

 

金払って女と飲むだけって、何が楽しいんだ!

と息巻いてみるが、ただ勇気がないだけなのである。

 

そんなところにまさか自分が行く日がくるなんて。

 

旅先で路線バスに駆け乗ったときのような安堵と不安を持って階段を降りると、

 

あゝ絶景哉。

 

チアガール達があははうふふと桃源郷

 

先客のグループとカラオケで多いに盛り上がっているではないか。

 

私も早く混ざりたい。

 

混ざりたい、が、

その前にチアガールとスキンシップをとらねばならぬ。

 

ただ私に備わった天性の人見知りが存分に発揮され、どうにも踏み込めない。

 

こういうときの友人はすごい。

やや乱暴ではあるが、するすると言葉を紡ぎ、

あっという間に打ち解ける。

 

そうして出来上がったゆるーい空気の中に、いつもひょっこりお邪魔させていただくのが私の役割なのである。

 

このようにお互いの役割を遂行しきった後、

チアガールからデンモクを渡された。

 

友人が睡蓮花を予約し、いざ出陣。

 

最高潮の盛り上がりを見せるグループの前まで赴く、お前らも一緒に歌えとばかりに。

 

もちろんみんなノってきてくれるわけである。

 

手を挙げ、頭を振り、それぞれの感性で盛り上がる。

 

ああ楽しいなあ。

 

刹那、二つの眼が私を見つめているのに気がついた。

じっと見つめてくるその目は真剣そのもので、鬼気すら迫る。

 

これが対局中なら違和感もないが、

あいにくカラオケ中である、アル中(アルコール摂取中)である。

不自然に真剣なその目はただ怖い。

 

いかんせんゲイの方にモテる傾向にあるこの私、その類の危険を察知する能力が身についている。

モテればいいという話ではない。

 

頭の中にエマージェンシーを告げるアラームが響く。

緊急事態発生。緊急事態発生。

 真夏のジャンボリーなんていってる場合ではない。

濡れたまんまでイっちゃえない。

 

この場合の最善策は、気づかないフリをすることであろう。

即座に体をチアガールたちの方へ向け、避難。

 

しかし、どうにも気になってしょうがない。

さっきのはたまたま考え事をしてて、真剣な顔になってしまったのではないか、

ポーカーフェイスを極めた御方で、他意はないのではないか。

全て私の思いあがりではないか。

だとしたらなんてバカなんだ私は。

 

贖罪の意を込めて、一度チラ見してみる。

 

あれ、いない。

 

ああそうか、さっきはトイレに行きたかったんだろうな。

なのに他のグループである私らが乱入してきたから気を使ってガマンしてくれていたのか、

申し訳ないことをしたなあ。

どうぞ、ごゆっくり。

 

なんて思いながら、

 

突然降り出した雨〜♪

 

と歌うや否や、

 

突然くすぐられた俺。

 

最初はチアガールがちょっかいかけてきてくれたと思ったんですよ。

すごく嬉しかったんですよ。わくわくしたんです。

 

でもね、笑顔で振り返るとね、さっきの方がやっぱりそれなりに真剣な目で私をくすぐってたんです。

 

小せえ声でなんで俺だけ......

 

その後はもう修羅場です。

避けようにも歌は大サビに向けて佳境だし、なにより怖い。

 

痴漢で声がでなくなってしまう女の子の気持ちがよく理解できました。

痴漢はやめましょう。こわいですから。

大の大人がこわくなってしまうんですから、少しは相手の気持ちも考えてあげましょう。

 

良かった点を上げるとするならば、

その状況に気づいたチアガール達が一緒にくすぐってくれたことだろうか。これはよかった。

 

大勢のチアガール(と真剣な目を持つ男)に囲まれながら無事歌い終わった私。

グループのみんなとハイタッチをしてから

這々の体で自席に戻ると、

チアガールが駆け寄ってきて

「大丈夫でした?なんか、くすぐられてましたけど」

 

「ええ、非常に怖かったです」

 

 

その後、そのグループは早々に退散していったが、

私の脳裏にはあの目が焼き付けられた。

 

正直チアガールの顔とか全然覚えてない。

 

やはりオトナの世界に踏み入るのは時期尚早であったのか。

 

なんとも痛烈なデビューとなった。

 

迷走なのか名走なのか

 

社会人になってもうすぐ1年。

私こそが社会の歯車であるという自負を得ることができたような今日この頃、

直面している問題が1つ。

 

それは、、

 

休みの日なにしたらいいの!?

 

ということである。

 

このことに関しては先人も散々議論してきたようで、

グーグルで「休みの日 つまんない」

とか調べると山ほどのアイデアが挙げられている。

 

しかし、だ。

 

そのどれもがなんというか、その、

 

ぱっとしないのである。

 

誤解のないようにいっておくが、これはそのアイデア達が悪いのではなく、グーグルに悪態をついている訳でもない。

 

例をあげると、

ボルダリングや登山といったアクティブ系自然派OLみたいなものから、

 

カフェ巡り、パン屋巡りといった一歩間違えればおのぼりさん的、インスタのためにカメラ買いましたOLみたいなものまで、

ほんとうに色々なアイデアがある。

 

もう一度言っておくが、悪態をついている訳ではない。

 

全てはこのように穿った見方しかできない私が悪いのであり、

そのフィルターのせいで、カフェ巡りの魅力をシャットアウトしてしまっている私こそが悪なのだ。社会のゴミめ。

 

こんなやつがいるからインスタ女子を影で笑う風潮ができてしまうのだ。

1つの文化が勃興したら、

それに対して反対派が生まれ、

そのせめぎあいが文化をより魅力的なものにしていくが、

私のこの反対運動はなにも生まない。

ただの害悪だ。

こんな考え方をするやつは滅んでしまうべきなんだ。

インスタ女子に光を!

ビバ、OLYMPUS!!

 

 

 

いや、いくら相手が自分だからといって、

ここまで言う必要はないと思う。

害悪とか言われたの初めてだし。

 

 

そもそも悪というのはなんなのか。

正義があって悪があるのであれば、

悪があるから正義があるということになる。

 

悪がいなかったら正義は存在しない。

てことは悪は社会から必要とされてるんじゃん。

 

じゃあ悪は悪じゃないってことか。

 

正義と悪のような二項対立的な発想がもたらす影響は大きく、世間に大きく浸透している。そもそも脱構築的な立場から........

 

 

すいません俺が悪かったです。

 

正義と悪なんて観念的な話以前に、

書くこともまとまっていないのにブログなんて書くことからそもそも間違っている。

 

出だしはよかったのだが、

途中から修正が効かなくなった。

 

無理やり話を戻してまとめると、

 

最高の休日の過ごし方はどこにあるのか、

を探して休日が終わる惨めな男のお話。

 

ちょっと横浜まで。ちょっと博多まで。


2016/03/09、福岡県は博多に降りたった。
友達に会う。
それ以外は何も決まってない。
というのも博多行きが決定したのは前日の夕方のことである。調べる間もない。

友「明日12時に天神集合な」

私「そんなちょっと横浜来てよみたいなノリで言われても...」

友「AもBもくるからさ、みんなで集まりたいでしょ」

私「だからって神奈川からどんだけかかると思ってんだ」

友「いいから来い」

私「」

こんな傍若無人荒唐無稽な振る舞いが許されるのだろうか。
と言いながらも、かねがね福岡には行きたいと思っており、こんなことでもない限り行く機会はないだろうと、
知らぬ間に行く気になっていた私。

フッ軽王子の名を欲しいままにできる資格があると思う。間違いない。

そんなわけで雨の中無事福岡に到着し、友達と合流。

私「急な呼び出しをしたからには我々をもてなしてくれるプランがあるのだろう?福岡を満喫したい」

友「とりあえずラーメン食べてからうちに行こう」

私「???」

ラーメンはいい。博多ラーメンを本場で食べたかったし実際においしかったし。
問題はその後そいつの家にいってなにをするというのか。
そいつの家は福岡名物なのか。
博多弁を喋る可愛い子が跳梁跋扈してるというのか。

といいつつも降りしきる雨から逃げるように友達宅に到着。これからの予定を話す。
雨だから周辺うろうろするのはやめて、どこか観光地的な所、それも屋内の所に行こう。
ただ、そういう所はまあまあ中心地から離れており、車が必要とのこと。
車はあるにはあるが、全員乗れない、つまり使えない。
バスでいくと時間がかかりすぎる。
レンタカーは面倒だしお金がかかる。



おい。


もう少しやる気というものを見せておくれよ。



ここで友によるとどめの一言。

友「そもそも福岡に観光するとこなんてない」


会心の一撃を受け、息も絶え絶えの中、

私「で、でも食べ物おいしいよね?夜はもつ鍋とか食べようよ?」

友「わかった。予約しとくわ」

ようやく福岡っぽい予定が組み込まれた。嬉しい。


夕飯の時間までは近くのショッピングセンター(キャナルシティ)でウィンドウショッピング。

が、

友A「久々に熱でた。具合悪い。帰ります。もつ鍋が食べたい人生だった」

とまさかの一人退場。

残されたメンバーでもつ鍋へ。

もつなべ、おいしかったです。
喜多屋というにほんしゅも、とてもおいしかったです。水みたい。
またきたいとおもいました。

こんな小学生でも逆立ちしながら書けそうな感想しか書かないのは、
ここでそんなに面白いことが起こらなかったからです。
有り体に言えば省略。

その後、友とは解散。残されたのは私と友B(三重県出身)。
ついさっきようやく予約したホテルに向かう道すがら

私「中洲という地には桃色の世界が広がっており、お金を払った男は皆恍惚の表情を浮かべているらしい。誠にけしからん。一つ世直しする必要があろう?」

友B「ようは金玉したいんやろ?」


そんなはっきり言わんでも...
いやはっきりなのか、この表現は。

ともあれホテルに荷物を置き、準備を整えた私と友は中洲へと歩を進めた。
その背中は博多弁に萌える男たちのえも言われぬ色の蒸気が吹き出していたという。

私「着いたぞ、友よ。ここが桃色の魔窟。いざ退治せん!」

友B「金○したいだけやろ」

ここでの出来事については都合上省略する。
太ったミスターポテトヘッドに襲われた気がするがあまり覚えていない。

人間というのは本当にショッキングな出来事を記憶から葬り去ることが出来る。
この特性が人類の知への探求、永遠の挑戦を、ひいては文明の発展を可能にしてきたと言われている。
皆自分にとって都合の良い記憶だけを残して生きていく。それが人間なのだ。

私「焼き鳥でも食べながら反省会をしようではないか。我々が挑むには時期尚早であったようだ」

友B「いやーいいとこやね。すっきりしたわ」


股間辺りをいじりながら恍惚の表情を浮かべて出てきた友を引きずり、近くの焼き鳥屋へ。

何気なく入ったこの焼き鳥屋がとんでもなくうまかった。
なにを食べても外れる気配のないメニュー達に先程の敗戦の過去はたちまち雲散霧消。
気さくなおかみさんと談笑しながらばくばくばくばく。

時も忘れて、そして私達が学生の貧乏旅行であるという事実も忘れ、お会計のときにうろたえた以外は100点満点のこのお店は、次回博多に来る機会があったらまた必ず訪れるだろう。

こうして博多の夜は感情の乱高下を短いスパンで経験した私をホテルに送ったあと、更けていった。

福岡は確かに観光という面で考えると弱い部分がある。
しかし、食べ物は何を食べてもおいしいし、なにより人と関わることで、その魅力が現れてくる街だった。
福岡という街に誇りを持ち、嬉々としてその魅力を語る姿。
相手を想い、積極的にもてなそうとしてくれる姿。

これこそが福岡の魅力であろう。
あと美人の博多べ......

そんな姿にすっかり魅せられ、再訪の意を固めながら、帰路につく。